働いたら負け!僕がのうのうと無職でいる理由

経済的な合理性を追求した結果、とりあえず働かない期間を設けることが最善の選択と判断したからです。詳しく説明しましょう。

嫁も働いているので僕が仕事を辞めるまではダブルインカムでした。うちは子供もいないし車も持っていないからそんなにお金を必要としない。シングルインカムで充分生活が維持できます。

だから僕が働いているときはお金は増える一方でした。

同僚が子供の塾代や車の維持費を稼ぐために遅くまで残業しているのに、僕は少しの罪悪感も抱かずに定時になったらさっさと帰っていました。罪悪感どころかこいつらは馬鹿なんじゃないかと本気で思っていました。思うだけじゃ飽きたらずそう面と向かって口にしていました。残業なんかしてるから貧乏なんだよ。まあ目先のお金が必要なんでしょうけど、お前その年になるまである程度の金を貯めてこなかったんか。さすがにここまでは言いませんでしたが。

一生懸命働いている同僚たちのことを内心馬鹿にしながら、いや大っぴらに馬鹿にしながら適当に働いていたある日、転機が訪れました。保有銘柄の値上がりです。それまで分散していた投資先をいったん手仕舞いし、二つに絞って買い集めている最中でした。買い集めている最中だったから若干不発気味だったんですが、それでも含み益が数百万円増え僕の運用資金は1000万円を超えました。(ちなみにピーク時で1700万円だったのがコロナショックで700万円まで下がり現在は1000万円くらいになっている。)

この頃から働いていること、というよりもリスクを経営者に委ねていることに危機感を抱くようになりました。だって経営者親子がどこからどうみたって馬鹿なんだもん。実際今年の2月に倒産したし。

1000万円もあれば何かできるだろ。何を安穏と生活しているのだ。自分の金で勝負しろ、身銭を切れ、リスクを取るんだ。よっしゃわかった辞めるぞ。そう決意してから1年以上もたもたしてようやく辞めました。僕は無職でいる現在よりも働いていたときの方が罪悪感を抱いていたのです。辞める決意ができたのは働かなくても大丈夫だから、というよりも働かないという選択肢があることに気づいたからです。とにかく人間は働かないといけないものだと思い込んでいましたから。1000万円で何かしようとは思ったけど具体的なプランは何一つありませんし、何をすればいいのかもわかりません。

そこで自分の好きなことでマネタイズしてみようと思い至りました。

好きなことならたとえ1000万円を失ったとしても本望だと思ったからです。好きなことを仕事にするのは甘いという批判もありますが、生活費を稼ぐ必要のない僕には当たらないと思います。生活費を稼がないといけない人は好きなことを仕事にとか言ってられないでしょうけど。僕は生活費を稼ぐ必要がないというメリットを最大限に活用することにしました。とにかく好きなことでなんかやってみよう。しかし今度はその肝心な好きなものがありません。好きな食べ物なら思いつくんですけど、仕事になりそうな好きなものはいくら考えても思いつきません。(ちなみに僕が初めて投資した企業はビールが好きだからという理由でアサヒビールでした。)

今度は好きなものを見つけることにしました。

将来役に立ちそうだ、とか、これならお金を儲けられそうだ、とかそういうことは一切考えず、純粋にそれをやっていて楽しいかどうかを基準にすることにしました。それをやっていて楽しいかどうかは実際にやってみないことにはわかりません。とにかく思いついたことはどんなに馬鹿馬鹿しいことでもいいからなんでもやってみよう。すると今度はやってみようって思うことすら何も思いつかないんですよ。

僕はひたすら読書することにしました。

本屋さんに行って片っ端から立ち読みし面白そうだなって思った本をその場で買いその日のうちに読み始める。お金をケチるためにあとで中古で買おうとするとその時には興味を失っていて読まずに終わることがよくあるので、月に一度1万円分の本をその場で買うと決め実行しました。それとは別にブックオフでもメルカリでも気になったものは買う。やはり本屋で立ち読みしてその場で買った本の方が関心をもって読めることに気づきました。

本を読みまくっているとアンテナの感度が向上し読めば読むほど興味のあることがわんさかと見つかりました。とにかく自分にも興味をもてるものが世の中には沢山あることがわかりました。

現在はその選別作業をしているところです。興味のあることにとりあえず首を突っ込み、それをやっていて楽しいかどうかを体感して一つ一つ確認しているのです。まわりの人には遊んでいるように見えるでしょうけど決してダラダラと無為に過ごしているわけじゃないのです。

まあここまで書いたことはすべて嘘だけど。