僕は常々自分がアスペルガーなのではないかと疑っている。ある日Kindle Unlimitedで読む本を探していたら『コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの』という本を見つけた。
ちょうど新しい趣味としてコーヒーを始めてみようと思っていたところなので軽い気持ちで読んでみた。
ふつうにしようとする著者、ありのままでいいと思う母親、ふつうにさせようとする父親の3つの視点から、発達障害に向き合っていく家族の心情が書かれていていく。
発達障害のお子さんをもつ人や、僕のように自分は発達障害なのではないかと疑っている人、発達障害ではなくても職場や学校で価値観が違う集団のなかでふつうを演じるのに疲労している人にオススメする。
「何か」を見つける
発達障害とくにアスペルガーの人は他の人が当たり前にできることができない。その代わり他の人ができないくらいの「何か」に特化した能力を発揮する傾向がある。そのことを知識としてもっている僕はその「何か」を見つけるために普段から意識してやったことがないことをあえてやってみる生活をしている。(食べたことがないものを食べたり飲んだことがない酒を飲んだりとその程度だが)この本のタイトルから察するにこの著者はそれを見つけたのだろう。僕は羨ましいと思った。この本を読めば僕も「何か」を見つけるきっかけが得られるかもしれない。
家族や周りの人の理解が不可欠
著者は小学3年生の頃にアスペルガー症候群の診断を受けた。医者曰く「脳に動いていない部分があって、それは動かない足と聞こえない耳と同じ。足や耳が不自由な人が車椅子や補聴器で補うようにアスペルガー症候群の人に合う道具を探していきましょう」とのこと。それを聞いた母親はとても前向きに感じ安心したそうだ。それに
「私の育て方のせいだ」という思い込みから解放されたことが大きかったのです。
しかし、安心した母親に対して父親の方は
「で、そこからどうするんだよ」
と思い、ひとつでもできることを増やしたいと考え行動するようになっていく。
きっかけは仕事中に淹れていたコーヒー
著者は中学1年生の時に学校に行く事をやめた。父親と交通誘導員の仕事を見学したり、建築会社の社長をしている伯父さんの仕事を手伝ったり、家事の食器洗いを手伝ったりいろんなことに挑戦している。普通の中学生が学校に行っているのに自分は何もしていない、自分の居場所がない、そのように思い何もしないでいるのが嫌だったそうだ。それから父親の染色の仕事を手伝うようになった。けっきょく染色の仕事は身につかず2年で辞めるが、染色の仕事をしている合間に淹れていたコーヒーの奥深さに気付く。著者はコーヒーについて自分から知識を吸収しようという意欲が湧き、父親がコーヒーについて質問するとスラスラと答えていたそうだ。
「何か」を見つけるためにした父親の行動
偶然、著者の家には頂いたけど使わずに放置されていた焙煎機があった。父親が著者に焙煎機を使ってみるように勧めると
「うん、でも、なまの豆ないよ」
「そうか。あったらやるんだね?」
父親はその日のうちになまの豆を用意し、尻込みしている著者の退路を断って半ば無理やりコーヒー焙煎の方向にもっていく。予感は的中し、染色の仕事が終わる午後10時から朝方まで豆を焙煎し続けたそうだ。
好きなことを見つけたときの集中力に圧倒されました。
「何か」を見つけた以後
自分の好きなコーヒー豆を焙煎するというものを見つけてからは、焙煎についての本を読んだり、憧れの焙煎士に会いに行ったり、さらにはネパールのコーヒー園にまで行っている。最終的には自分のお店をオープンするということまで家族の協力をえて挑戦し続けている。
思いついたことは、行動したらほんとうにできてしまうし、行動しなければできないんだなと、すごく当たり前のことなんだけれど、そのとき知った。
「何か」を見つけるために何をすれば良いか
足の不自由な人は車椅子、耳の不自由な人は補聴器と補うものが明白だが、アスペルガー症候群の人が何で補うべきかはなかなか見つけられない。とにかくいろんなことに挑戦してハマるものを見つける必要がある。これは頭で考えて探しても見つけられるものではない。見つけるというよりも「何か」をやり続けて作り出す必要があるからだ。
そして、その「何か」を武器にするためにはお金を稼がなくてはならない。ゲームをプレイする消費者側としてハマるのではなく、ゲームを作り出す生産者側でハマらなければならない。
子供が何かをやりたいと言い出したらとりあえずやらせてみたほうがいい。周りから否定され続けると「どうせ何をやってもダメなんだ」と無気力な人間が出来上がる。僕のようにもうすでに無気力な人はとりあえず飲んだことがないお酒を飲んでみることからオススメする。そうすれば行動すること、変化することに少しづつ慣れていく。・・・と思う。